「100点の視点と0点の視点の見え方」のちがいとは?

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こんにちは!

100年の休日にバカンスで地球に来ている宇宙人こと、蔀(しとみ)晋輔です。

 

物事を「楽しい」と捉えるのか?「つまらない」と捉えるのか?

は人それぞれですが、多くのことを「つまらない」と捉える人にはどんな傾向があるんでしょうか?

 

物事を判断する基準値が高いという傾向があります。

100点を基準にしてしまっているということなんですよ。

 

100点を基準に生きていると人生は辛いものになっていきます。

その理由は、人は欠けているところにフォーカスしてしまう生き物だからです。

 

水が半分入ったコップの有名な話をします。

コップに水が半分入った状態を見てどう捉えるのかという話です。

ある人は「もう半分しかない」と捉えます。

またある人は「まだ半分もある」と捉えます。

その捉え方を分けてしまうものは何なんでしょうか?

 

前者は100点であるコップに一杯の水が入っていることを基準にしています。

だから、半分になると欠けているところに意識がいくんですよ。

後者は(極端ですが)0点であるコップに何も入っていないことを基準にしています。

だから、半分あることに意識がいくんですね。

 

脳は欠けている部分に意識がいくものなんです。

意識しないとある部分への意識が働きにくいんですね。

まずは、あなたはどちらの視点を持っているのかを自覚することが大切になります。

欠けている部分ばかりに意識がいくのなら、脳にコントロールされている状態です。

逆にある部分に意識がいくのなら、自らの脳をコントロールしている状態だと言えます。

(本当は意識してコントロールするのではなく、その感情が心の奥から湧き出てくるのが大切なんですが、それはまたの機会にお話しします)

 

では、ワークをしてみましょう。

2つのリンゴの写真があります。

あなたはどちらのリンゴが気になりますか?

 

もう一ついきますね。

2つのガラス窓があります。

あなたはどちらのガラス窓が気になりますか?

 

ありがとうございます。

ほとんどの方が「欠けたリンゴ」「割れたガラス窓」が気になったと思います。

(そうでないとおかしいという訳ではありませんので大丈夫ですからね)

 

なので、100点を基準にして生きていると・・・・・

目覚めがスッキリしていなくて嫌だな!

車で事故に遭いかけて最悪だ!

昼食の弁当は冷たくて美味しくない!

子どもが言うことを聞かずに遊んでばかりいてイライラする!

上司が私の話を聞いてくれなくて腹が立つ!

歩道の段差で躓いてこけそうになってついていない!

試験で70点しか取れなかった!残念!

 

けれど、0点を基準にして生きていると・・・・・

朝、目覚めることができた!今日も生きている!

車で事故にならずに済んで良かった!

昼食に食べ物があるなんて最高!

子どもが病気にもならず元気に遊んでいて嬉しい!

歩道の段差でこけて骨折などしなくてついている!

試験で70点も取れた!ラッキー!

と、結構毎日を楽しく生きていくことができる様になります。

 

意識の持ち様です。

そのトレーニングから初めて、その感情が心から湧き出てくる様にしていきましょう。

 

最後にこんな二人の人がいました。

あなたはどちらの人が幸せに生きている様に感じますか?

 

飛行機のフライトがアクシデントのため1時間遅れてしまいました。

その時に、あるおばさんはこんな話をしていました。

「もう1時間も遅れるなんて最悪だわ。

 こんなことならもっとゆっくり家を出れば良かったわ。

 1時間あればどれだけ家事ができたと思っているのよ。

 いったい何が原因だったのよ。

 イライラして気分が悪いわね!」

 

もう一人のおばさんはこんな話をしていました。

「欠航にならずに1時間でフライトできて良かったわね。

 大きな事故ではなくて良かった。

 おかげで読みかけの推理小説を読めたし、あなたとのお話の時間もできて嬉しかったわ。

 ずっと忙しかったのでのんびりする時間ができて、なんてラッキーなの!」

 

同じ環境にいるのに、まったく異なる人生を過ごしている二人のおばさんの話です。

どちらのおばさんが幸せな人生を過ごしていると思いますか?

 

そしてあなたは、あなたの周りの環境の中で幸せになることを選択していますか?

 

では、今日もステキな一日を!

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shitomishinsuke