「幸せを知ることと、感じることのちがい」とは?

こんにちは!

100年の休日にバカンスで地球に来ている宇宙人こと、蔀(しとみ)晋輔です。

 

幸せだと知ることと、幸せを感じることは異なります。

 

多くの人は知識として幸せというものを理解しています。

朝、目が覚めることは当たり前のことではありません。

空気があり苦しむことなく呼吸ができることも当り前ではありません。

手足が自由に動き、歩いたり物に触れることができるのも当り前ではありません。

水がありそれを飲み、食事をして命を保っていることも当り前ではありません。

 

どれもが奇跡でミラクルなことなんですよ。

そんな当たり前に感じてしまうことは忘れやすく、とても恵まれているということも忘れがちになってしまいますよね。

けれど、そんな当たり前の中にこそ幸せがあるんです。

何か特別なことがあるから幸せなのではなく、今ここにあるというだけで幸せなんです。

 

これを読んでいるあなたも「そう!そう!その通り!」だと思われているかもしれません。

 

私もそう思っているので、今の状況が不運な時に・・・・・

生きているだけで幸せじゃないか!

空気があり水があり食べ物があるじゃないか!

体に不自由がなく健康じゃないか!

家族もいて友達や仲間もいて、すでに自分は幸せなんだよ!

この不運な状況も不幸じゃないんだ!

そう思っていこう!

・・・・・と考えたりします。

 

ただ、この時に本心から幸せを感じることができていないと、自分を納得させるために言い聞かせる作業に入ってしまうことがあるんですよ。

それはそれで悪いことではなく、とても素晴らしいことではあります。

そういう考えが自分のエネルギーにもなってもいきます。

 

もし、本心から幸せを感じることができていたなら・・・・・

「生きているだけで幸せじゃないか!」みたいな思考は出てきません。

すでに幸せを感じているのに、そんな思考を持つ必要がないんですから。

 

何かを本気で楽しんでいる時には、無我夢中になって「これは楽しいな~!」なんて思わないのと同じです。

終わってから「楽しかった!」と思うもんですよ。

 

いくつになっても青春時代の様に充実している人は、「いくつになっても青春時代の様に生きよう!」なんて発言はしません。

もうその様に生きているので、そんな必要はないからです。

 

とは言っても、なかなか幸せを感じることは難しい様です。

周りを見て幸せを感じられている人というのは・・・・・

余命を宣告されたことがある人。

大きな事故や病気になって一命をとりとめられた人。

会社が倒産したり、大切な人を失ったりしたことがある人。

その他、自殺しようと思ったことがある人。

そういう地獄を見たことがある人が多い様です。

 

では、そんな経験のない人は幸せを感じることができないのか?

そんなことはありません。

人は多かれ少なかれ、楽しい経験も悲しく辛い経験もしてきているはずです。

そんな経験も含めて、自分自身を深く丁寧に見ていけば感じることができます。

その時に幸せを感じられている時というのが「至福の時」なんです。

 

私自身も思考で幸せを考えている時と、心で幸せを感じられている時があります。

心で幸せを感じられている時は・・・・・

顔に優しく吹くそよ風に・・・・・

暖かく注ぐ陽ざしに・・・・・

大地に降り注ぐ雨に・・・・・

偶然にすれ違った見知らぬ誰かに・・・・・

誰かと会話をしている光景に・・・・・

自分の一呼吸ひと呼吸に・・・・・

自分の中が幸福感に包まれていきます。

自分の内側から満たされていくんです。

至福の時ですね。

 

あなたも自分自身を深く丁寧に見ていき、自分自身を知ることで至福の時を感じてみませんか?

 

では、今日もステキな一日を!

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shitomishinsuke